映画も大ヒットした。
10代の若い女性が病気で亡くなる というテーマは 「世界の中心で愛を叫ぶ」の二番煎じじゃないか。
なにせセカチューは長澤まさみさん、綾瀬はるかさんという世代を代表する女優を生み出したコンテンツなのだから、マネタイズにはもってこいだよね 。
などとと冷めた気持ちでいたのだが、 読んだ後はその思いは消え失せていた。
テーマは古くともこんなふうに表現したら新しい世界が広がるという、後に続く作家さんのお手本ともなった作品だと思う。
「君の膵臓をたべたい」(住野よる著・双葉文庫)
キミスイ、とも呼ぶらしいが、この斬新でしかも物語のテーマを貫くタイトルが秀逸。著者のインタビューによると、まずこのタイトルがあって、物語を考えていったとのこと。賞ではなく、「小説家になろう」サイトから世に出たというエピソードも今風だ。
盲腸の出術を受けた「僕」は抜糸をするために病院を訪れた。誰もいないソファに残されたのは「共病文庫」という手書きの文字の本。この本を何気なく開いたことで、クラスメイト・桜良の不治の病を知ることになるーー。
面白いのが、登場人物が「僕」の名前を呼ぶ時に【】で表現されることだ。例えば、桜良が呼ぶとき最初は【地味なクラスメイト】となっていたが次第に、【秘密を知っているクラスメイト】→【仲良し】→【?????】というように変わっていく。
呼び名は同じでも関係性が変化していることを表しているのだ。
「僕」の名前は周囲の人から見ると他者と区別するための記号かもしれない。でも、その記号を呼ぶ時、その関係性はその時々で違うだろう。それを通常は態度や言葉遣いで示すのだが、本書ではそれを【】で表している。名前を呼ぶ時に【】で表現するだけで、その人に対する気持ちを表すなんて、なんて斬新なんだ。このラベルの移り変わりに注目してほしい。
そして最後は【?????】。最後に桜良は「僕」をどんな存在に思っていたのか。
桜良と「僕」との軽妙な会話も魅力。わりと桜良は豪快な性格で、「僕」が冷静にかわしているのだが、そのやりとりがユーモアがあって面白い。
圧巻は後半の畳みかけるような文章だ。終始そっけない「僕」の思いが桜良の死に直面して繰り返す語調。こみ上げる思いを必死で抑えるように。
終盤で「僕」の名前が明らかになるのだが、それがまた切ない。