これほどの天才が知られていないなんて、日本はどうかしている。・・・と思ったら逮捕されて広く知られることになってしまったが。
「エクサスケールの衝撃」(齊藤元章著・PHP研究所)
約600ページの大作。
後書きに「スーパーコンピューター開発の傍らで執筆し、何度も筆を止めてしまった」という趣旨が書いてあるところをみると、どうやらご自分で書いているらしい。どんだけ天才なの?
しかも、写真・図が一切ない。これは筆者の意図で「余計な先入観を与えたくない」からだそうだ。ビジュアル・SNS短文世代にはハードすぎますわ。
著者はどんな人?
著者の齊藤元章氏は新潟大学医学部、東京大学医学部附属病院放射線科を経て医療機器研究の道に進み、医療画像システムを手がける会社を28歳の時にアメリカで創業。同社のCT画像処理技術は大手をしのぎ世界的な評価を受ける。
しかし、2011年東日本大震災で帰国を決意。プロセッサー技術を開発するPEZY Computingを創業した。そして、GRAPEの開発者である牧野淳一郎氏のすすめによりスーパーコンピューターを開発した。普通の国家や大手企業が数約億円の資金と数百人単位の人を投じて開発するものをわずか十数人のこの会社がたった7か月間で実現してしまったのだ。
医学部出身でコンピューターでは決して専門家ではない齊藤氏が、多くの人が失敗してきたスパコンの開発を簡単そうにやってのけてしまう。もちろん牧野氏のようにスパコンに精通する専門家のサポートあってこそだが、そうした人々が集まるのも、また齊藤氏の才能ゆえのことだろう。
タイトルの意味とは?
本書のタイトルにもある「エクサスケール」とは、コンピューターの演算性能を表す。2017年スパコン世界ランキング8位、理化学研究所の開発する「京」の性能は約10ペタ(Peta)フロップス。フロップスは1秒間に実行できる浮動小数点計算の回数だ。これが約100倍の演算性能になれば約1エクサ(Exsa)フロップスに到達する。
このペタとか、エクサというのは、これはコンピュータでよくみる単位だ。
キロ<メガ<ギガ<テラ<ペタ<エクサ<ゼッタ
となっていて普通のパソコンでも容量を表す単位としてギガぐらまでは見かける。
なぜこうした単位があるかというとコンピュータが2進数で動いているからだ。こうした単位についても巻末の「参考:数字に関する理解の尺度を変えてみる」という章で丁寧に解説されている。
コンピュータの性能が「エクサ」に到達したとき、人々の生活が劇的に変わるというのが著者の見解だ。私たちの生活がどのように変わるのか、近い将来を語る本であって、決して技術書ではない。参考の章でも数字の単位をわかりやすく記載していることからもわかる通り、一般の人に向けた書だ。
シンギュラリティよりも前に何かがある?
AI(人工知能)の第3次ブームともいわれているが、未来学者レイ・カーツワイルは将来AIが人間の知能を上回る「シンギュラリティ(技術的特異点)」が訪れると予見している。
今でも「Alpha Go」が 世界最強の囲碁棋士・柯潔(カ・ケツ)を破るなど、ある特定の分野ではAIが人間を上回っているが、結局のところパターン認識に終始しているように思える。ゲームという決まったルールの中でのパターンから最適なものを選んでいるにすぎない。人間の積み上げてきた過去の経験などから得る知能をAIが上回るAGI(汎用人工知能)が生まれるには程遠いんじゃないかと思える。
だがもし、それが実現するならば、AIが人間より優位に立つという脅威にさらされるわけだが、斎藤氏はシンギュラリティの前に「エクサスケール」のコンピュータが誕生することによって人々の生活が劇的に変わるであろう、と予見している。それを「プレ・シンギュラリティ(前特異点)」と呼び、早くて10年、遅くとも20年のうちに訪れるというのだ。
このプレ・シンギュラリティで何が変わるのか。齊藤氏があげるポイントは以下の3つだ。
- エネルギーがフリーになる
- 人間が「不労」を得る
- 人間が「不老」を得る
なかなかにSFチックじゃございませんか。技術の進化によってエネルギーがタダになれば、生活コストが下がり、人々は生活のために働く必要がなくなる。さらに技術が進化して病気、災害、犯罪など人間が直面するあらゆる脅威からコンピュータが守ってくれる。それだけでなく老いまでも食い止めるというから驚きだ。嬉しいやら悲しいやら・・・。
筆者の視点で面白いのは、「不労」によって人間の能力が引き出されるということだ。「役者になりたいけど、食えないのであきらめる」なんて人はザラにいるが、そういった人が生活コストが下がることで好きなことに打ち込める。そして、最終的には「衣」「食」「住」がフリーとなり、紙幣もなくなる。今までお金のためにやっていた労働は「善意の無償奉仕」でまかなわれることになるというのだ。
つまり、最終的には「善意が世界をまわす」ことになるんだな。そんなにわかに信じられない世界を筆者は具体的に描いて見せる。私が思うよりはるか高みを見つめているのだ。
ところで、この善意の塊でできている世界にはギャンブルは存在しないらしい。紙幣もない世界で何も時間をつぶすだけの不毛な娯楽は淘汰されるというのが筆者の見解だ。確かにおっしゃる通りだが、競馬好きとしてはなんだかさみしいけど・・・。
超分厚い本だが、筆者が前書きで述べている通り、どこから読んでもついていけるように工夫されている。技術動向なども織り交ぜてわかりやすく説明してくれるので、知的欲求も満たしてくれる。
分厚い本を見ただけで読む気が失せる人には抜粋版もあり。
筆者の文を通してはるかなる未来を見ているような気分。