立川談四楼座長公演に出演していた桂吉坊の技術に圧倒されて読んだ本。桂吉坊は上方落語の人間国宝である桂米朝の孫弟子にあたる。
桂吉坊がきく 藝 (ちくま文庫)
上方落語若手ホープによる芸能の神様との対談集
吉坊は上方落語の期待の星。立川談四楼座長公演のときも立川談四楼師匠が吉坊を「将来上方落語を背負って立つ」と繰り返し何度も言っていた。
この本は市川団十郎、伊藤四郎、立川談志といった泣く子も黙る巨匠と吉坊が対談するというもの。
最後は松本尚久氏による吉坊本人へのインタビューとなっている。
才能は導かれる
吉坊さんは中学生のときにラジオで落語を聞いて落語家になる決意をした。
落語家はこの方の下で学びたいと思う師匠を決めて、師匠にお願いして内弟子になるところから始まる。希望の師匠にまずコンタクトをとることろが難しいのだ。
吉坊さんの場合は、桂南光師匠が出演しているラジオ番組に「落語家になりたい!」とハガキを書いた。そのはがきが番組で採用され、南光師匠と電話で話したことがきっかけで桂吉朝師匠を紹介してくれたのだという。
吉朝師匠には「ものになるかはわからないから高校にだけは行っとけ。時々楽屋に遊びに来ればいい。」と説得されて大阪府立東住吉高校の芸能文化科へ進む。師匠は弟子にするつもりはなく、そのままうやむやにしようとしていたようだが、楽屋によく来ている姿を吉朝の師匠でもある人間国宝・桂米朝師匠が目に留め、鶴の一声で入門したのだそうだ。
こういう話を聞くと、才能のある人は導かれるものだなーと思う。吉朝師匠は50歳の若さで亡くなったが、活躍は落語にとどまらず、中島らも、松尾貴史と劇団で役者をやったり、狂言や文楽とコラボレーションするなど、芸能に造詣が深かった。
吉坊の軽妙な返し、大御所の言葉の凄み
その影響もあるのだろう、吉坊の歌舞伎や文楽などの知識は半端ない。落語も歌舞伎や文楽にまつわる題材を使っている。
吉坊の博識振りが存分に活かされたこの対談集。軽妙に質問を重ねる若い吉坊に真摯に答える大御所たち。おのおのの極めた道のすごみを感じさせる内容だ。そのなかでも私の好きな部分をご紹介しよう。
歌舞伎俳優の坂田藤十郎が藤十郎を襲名して気持ちの変化があったかを訊かれて
人間は生まれ変わるということがあるんですね。(中略)新しい人生の出発みたいな気がする。自分のあこがれていた名前になって出てくると、不思議、新しい舞踊の気がするんですよ。
今まで自分の名前など気にもしなかったが、歌舞伎における名前の重みを感じる言葉。襲名するにふさわしい器だからこそ襲名し、しかし、名前によってその器を超えた自分になる。
喜劇役者の伊藤四郎が昔と今の笑いの変遷を訊かれて
練り上げられた笑いはとくにテレビでは必要とされていない
テレビ大好き人間の私としては寂しい言葉だが、今は確かに反射神経で面白いことをいうのが評価されている。それはそれで優れた才能なのだろうが、反射神経で出た言葉はそのまま使い捨てだ。
でも、M-1を見ていると練られた笑いは若い人にも支持されていると感じるのだ。そして、仕掛ける側が工夫すればテレビでも面白いコンテンツを作れると思うのだが・・・。
俳優小沢昭一に聞き手の名手としての極意を訊かれて
みんな言いたいことがあるんだ。もう分かってるようなことでも。(中略)さも感心したように聞いてくださいよ(笑)。それでその後、あなたが聞いてみたいなと思うことを最後に付け加えればいいんじゃないかな、と思いますけどね
インタビューは難しい。多少なりとも知ってる人が相手ならそれはそれは簡単だが、初対面の人は手さぐりモードになる。でも基本は「聞くことだ」ということを教えてくれる言葉。
あれやこれや、日本の芸能について考えさせる本。