これは確かプロゴルファーの吉田弓美子選手がツイッターでおすすめしていて知った。
「イノセント・デイズ」(早見和真著・新潮文庫)
産婦人科医の丹下のもとには、堕胎を望む人が訪れる。田中ヒカルもそのひとりだ。ヒカルが義父に虐待され、子どもを産む自信がないという話を聞き、丹下は「親が愛情を与えていれば、子どもは大きく道を外さない。大切なのは自信じゃない。覚悟だ。」と諭す。次に会ったヒカルのおなかは穏やかに膨らんでいた--。
あの高校野球の名門校・桐蔭学園の硬式野球部に所属していたらしい。とうことでデビュー作は野球部の補欠部員を描いた2008年「ひゃくはち」。野球好きにはおすすめ。映画にもなった。
イノセント・デイズには、野球の話は1ミリも出てこない。田中ヒカルが悩みぬいた末に、幸せを願ってこの世に送り出した幸乃の一生を描いた物語だ。
幸乃は幼少時代からさまざまな不幸を経験する。大人になってからも恋人に裏切られ、火をつけて恋人の家族を死なせた容疑で逮捕され、死刑を求刑された。母の願いむなしく報われなさすぎのだが、幸乃を取り巻く人々の不幸せも相当なものだ。
ある者は幸乃を裏切り、ある者は幸乃に怯え、ある者は幸乃を救うのを断念する。誰もが醜い心を持ちながら、でも懸命に生きようとしている普通の人間であるのがまたやりきれない。それでも幸乃に関わる人々のつながりのなかで、事件が少しずつ明らかになってくる展開が巧みで、目が離せない。
雪乃を取り巻く人々の物語が丁寧に紡がれているのが特徴のひとつ。その人たちの心、体験を通して、その人たちのフィルターがかかった状態で雪乃の人生が描かれている。
雪乃が人生の中でいろいろな行動をするのだが、どう思って行動に移したのか、その心情はまったく描かれていない。雪乃の人となり、振る舞いはあくまても周りの目を通して語られる。読む人はいろいろな人生を送り、ある時代だけ雪乃と交差するのだが、その人生を追体験しつつ、少しずつ雪乃の生涯のピースが揃っていく。この構成が繊細かつ大胆だ。
この作品がいっそう輝きを増しているのは、全編にわたる清涼感のせいだと思う。嫌になるほどの不幸のてんこ盛りなのだが、それでもその時々に描写される輝くばかりの桜の花に心を奪われる。涼風が心を吹き抜ける。
ラストのシーン。男の子と女の子が手をつないで桜のトンネルを潜り抜ける。その先には青く輝く海がある。このシーンに希望の光が見えたと感じたのはなぜなのだろう。
緻密な構成と清涼感をご堪能あれ。